皆様、ご無沙汰しておりました、スピニングマスターズです!!
2月中旬ごろより スピニングマスターズのWebサイトで閲覧できないページや、更新できないままだったページが沢山ありました。
公式ページ(https://www.spinning4.com/)の方にしばらくの期間掲示してありましたように、スピニングマスターズの全ホームページが設置してありましたサーバーで、重大なデータベースエラーが発生し、TOPページ以外はほぼ壊滅状態で、ブログ形式で構築してありましたこのイベントレポート、OK!店長のブログ、Spi-Maga会員ページ、ONE-OFFと、ネットショップ形式で構築してありましたオンラインウェブショップ OK!STOREの5つがそれまでのデータが消えてしまい、もう一度ゼロからのスタートという悲惨な状態に陥っておりました。
1995年当時にWindowsの普及やデジタルカメラの進化と共にインターネット、ホームページというものが一気に入り込んできて、私たちも「それならば…」とデジタルカメラを買って、プロバイダーと契約をし、無料で使えるようになったWebサイトスペースに家族アルバムを作り出し、旅行など家族で過ごす時間を記録としての構想と、コツコツと写真を加工してはページを作り、そうやってインターネットというものを勉強しながら理解してきたと思います。
それよりも少し前、モータースポーツの世界でエンジニアとして働いており、1年の半分以上が海外出張だったトモヒロパパも進路変更。宏弥や啓太はそのころからヨーヨーやジターリング、ディアボロといったスキルトイにハマり、家族共通の趣味として熱中し、その様子を記録として残していくには、ホームページやインターネットの世界は格好のツールでありました。
やがて、家族共通の遊びは趣味の範囲から飛び出し、児童館や子供会でのイベントへ参加するようになり、更にその延長線上にはハウジングセンターやショッピングモールなどでのショーを披露するように発展。当時はまだ宏弥も啓太も学生。啓太は中学生でセミプロという形態で活動をはじめました。
そうなると、ホームページという場所は、単なるアルバムではなく、公表の場となり、スケジュールを公開したり、どのようなイベントをしてきたのか、その日のエピソードを写真と一緒に記載するようになりました。
何年かすると、宏弥は学生生活を終える時期がやってきて、ここが私たちにとっては大きなターニングポイントでありました。ここまででセミプロとしてのパフォーマンス活動や、ショー活動を通じて、「どうすれば実現するのか」を知り、この世界でどこまでできるか自分を試したいと思うようになり、進学も、就職の道へも進みませんでした。そう、プロを目指す!という目標に向けて突進することになるのですが、プロとしての看板を高く掲げるためには啓太が学生生活を終える2年間を待つ必要がありました。
海外での仕事、家族と離れての仕事が多かったトモヒロパパにとっても、何かを一緒にできるチャンスでもあり、私たちはこの2年間をスタンバイモードとして、様々なことについて積極的な準備をしました。
この期間にジャグリングの大会にも、大道芸のコンテストにも出てみました。この場で詳しくは書きませんが、ジャグリングの大会はまだ良かったのですが、大道芸のコンテストというのは最悪の結果で、もうボロボロでした。それまでテクニックや技を習得することに集中してやってきて、それがすべて無駄だったとは言いませんが、大道芸とは?ショーをするということは?人が楽しめるためには?それはそれは数えきれないほどの疑問と自分たちの目の前にあった課題に挫折しそうなほど…。
それでも一度、4人でこの道へ進む!という決心は変わらず、それどころか、コンテストなどに出て、辛口のコメントをもらうことこそが、上達の早道だと思うようになりました。
もちろん、啓太が卒業をするタイミングがプロパフォーマーとしてのスピニングマスターズがスタートをする時で、それからも数多くのコンテストやフェスティバルに参加。
何度出場しても2位や3位という結果は残せても、中々たどり着けない優勝の文字。当時はとても長く、遠く感じました。やっと、初優勝したのはラグーナで開催されたパフォーマンスコンテストでした。
今でこそ、いろんなタイトルを持ち、結果として残せたものも多くなりましたが、何事も、誰もがそうであるようにスタートは本当に苦労しました。
それから数年。アリオ川口で開催されたパフォーマンスコンテストで優勝した時を境にKeikoママとtomohiroパパは表舞台からの撤退をし、完全に裏方スタッフとしてスピニングマスターズの活動を支えながら、事務局オフィス・マムの運営に力を注いでおります。
コンテストでの一番の思い出は、そうなることを微塵も思っておらず、予想外の大きな結果だったのが 2009年のふくやま大道芸。この時のグランプリは本当に予想すらしていなくて自分たちが一番ビックリだったかもしれません。
しかも2人だけでの出演で挑むのが初ということも啓太や宏弥にとっては大きな自信につながっていくことになったのは言うまでもありません。
さらにさらに時が過ぎ…。
それからも数えきれないほどの思い出話もありますが、プロとして順調な活動をしていたスピニングマスターズにとって2016年に金髪ちょんぼケイタとして活動していた啓太が外れ別の道を歩むことに。
この時も大きなターニングポイントでしたが、3人体制に変わったことで今のOK!ヒロヤソロパフォーマンスとして形を変えました。もちろん、
家族アルバムとしてスタートをし、セミプロ時代から26年もの間、このページに活動の様子やコンテストに参加した時の足跡を残してきましたが、冒頭に書きました通り、キレイさっぱりなくなってしまい、文字通りゼロからの再スタートとなりました。
コロナ禍禍、サーバーの障害、ホームページ消滅、これらが示唆するものとして「もう一度、初心に帰ってリセットをしてみたら?」と、誰かに肩をポンポンとたたかれたような気持で、あまり多くを振り返らず、前に進んでみようと思っております。
長い昔話(真剣に話せばこの1000倍はエピソードがある)でしたが、そんな再スタートの1ページはこの一枚の写真から。
2021年元旦に近所の神社へ初詣に行った時のショットです。
この先は、どうなるのか私たちスピニングマスターズにも良くわかりませんし、来年の自分たちが「こうしているだろうな」と想像すらできる状態にありません。
コロナのせいだとは言いたくありませんが、現実的に細々としたロープの上をグラグラと歩いていることには違いありません。
ここまで頑張ってやってきましたが、まだまだもうひと踏ん張り?いやいや、いけるところまで、スピニングマスターズのポリシーどおり「いつも全力投球で!」を貫いていこうと思います。
どうか、これからもスピニングマスターズをよろしくお願い申し上げます。
2021年3月29日 スピニングマスターズ一同。